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活動報告

2024.04.10

能登半島地震の被災地にてボランティアとして活動

いまだ残る甚大な被害の爪痕

2月4日より石川県に入り、能登半島地震の災害復旧ボランティアとして活動してまいりました。
個人として、石川県が募集している災害ボランティアに事前登録を行っており、県からの案内をもって今回現地に赴きました。
2月5日・6日の二日間活動する予定でしたが、6日は降雪がひどく、活動中止となったため、5日のみの活動となりました。

活動の主な内容は、被災した家の片付けと、大量に出た家具・粗大ごみなどの災害ごみの集積場への運搬です。
当日参加したボランティアは各市町村で15名から30名ほど、私が参加した際には金沢市で宿泊の上、朝各市町村のボランティアセンターへバスで移動、ボランティアセンターでその日の活動内容や注意事項を確認後、チームで現場へ移動、作業開始という流れでした。

参加している人のボランティア経験はまちまちで、今回の募集では経験による制限などを設けていないこともあり、何度もこうした災害ボランティアに入ったことがあるという方もいれば、今回初めて参加したという方もいました。私自身、本格的な災害ボランティアははじめての経験でした。

金沢駅にて、終了後撮影

私が活動した場所は、能登半島の付け根にある志賀町です。
震源である能登半島の先端からは少し距離がありますが、元日の地震では震度7を記録するなど、激しい揺れに見舞われ、多くの住宅が倒壊する被害が出ていました。
町の中心部では1か月以上が経過した中でも倒壊した建物がそのままになっているところが多く、被害の凄まじさと、復旧の難しさを身をもって実感しています。
被災地では写真撮影を行っていないため、報道機関からの引用となりますが、まさに下記の画像のような風景が町全体に広がっている状況でした。

被害の状況(珠洲市)※日経新聞から引用

ボランティアとして活動した、被災された方の住宅も、地震により大きな被害を受け、全壊判定を示す赤い紙が貼られていました。
そのため、住めなくなった家からすべての家財道具を搬出し、災害ごみとして集積場に運ぶ作業をしていましたが、お子さんの描いた絵や教科書、年季の入った調理器具なども含まれており、これまでこの家で営まれてきたであろう暮らしを思うと胸がつまる思いでした。

困難を極める復旧、豊中の備えを改めて考える

被災地にて活動する中で、様々な問題も見えたと感じています。
その中で、豊中の防災にも通ずる部分をピックアップして書いていきます。

① ボランティアの受入体制が脆弱

災害ボランティアの受入拠点となるボランティアセンターは、市町村ごとに自治体・社会福祉協議会が 主体となって開設しています。
ただ、センターで働く方もまた、多かれ少なかれ被災し、疲弊している状況があります。
その中で、センターとなっている公共施設にいる避難者への対応、全国から来る救援人員の取りまとめなど、膨大な作業量の前に限界に達しているように思えました。

緊急時において、一定こうした負荷がかかることは避けられないことと思いますが、平時よりこうした被災者対応と復旧・復興作業の両立、救援人員・物資の取りまとめのフローの確認など、災害時の繁忙を想定した訓練・準備が必要であると改めて感じました。
豊中市では、岡上の町のすこやかプラザが災害時のボランティアセンターとして想定されています。
実際に、平成30年の大阪府北部地震ではセンターを開設し、府外からのボランティアの受入を行いました。
今後、能登半島地震のような大災害が起こった場合に、現場の疲弊を少しでも減らし、迅速に復旧・復興を進めるためにもボランティアセンターの体制の点検は必要であると考えます。

② 住宅耐震化率の低さ

能登半島地震では、激しい揺れが地方の古い家の多い地区を襲ったため、多くの住宅が全壊・半壊となり、圧死した方が多数生じました。
建築基準法では、昭和56年の新耐震基準、平成12年の新・新耐震基準と徐々に規制が強化され、住宅の耐震化が進められてきましたが、新耐震基準以前に建てられた家が依然として多く存在しているのも現実です。
豊中市内では、南部にこうした耐震基準を満たしていない古い木造住宅が多く残り、災害時に大きな被害が生じることが懸念されます。
今回の地震を契機に、住宅の耐震性は命に直結するということを改めて認識いただき、耐震化を進めてもらうためにも市が制度の整備・周知を図っていく必要があると考えています。
また、今回の地震では家自体は問題なくとも、家の中で倒れてきた家具の下敷きになったり、ドアが開かなくなり生活ができなくなったといったケースも見られました。
新しい家でも地震による被害とは無縁ではいられないということを、皆さんに認識してもらいたいと思います。

志賀町ボランティアセンターにて

短い日程の中でのボランティア活動で、どれだけ被災地の復旧に貢献できたかは未知数です。
しかし、実際に現場に入り、自ら被災地のために動くことができたこと、また改めて防災・災害対応の難しさや課題を確認することができたことは貴重な財産だと考えています。
今後の防災・減災活動に必ずこの経験を活かしていきます。
最後となりましたが、能登半島地震で被害に遭われた方に心からお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

能登半島地震の被災地にてボランティアとして活動

能登半島地震の被災地にてボランティアとして活動

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